「日本最初の四柱推命家?仙台藩儒学者・桜田虎門とは」
「四柱推命は中国の占いだから、日本とは関係ない。」
そう思っている方も多いかもしれません。
しかし実は、日本に四柱推命を広めた人物の一人が、仙台藩の儒学者だったことをご存じでしょうか。
その人物こそ、桜田虎門(さくらだ こもん)です。
四柱推命と仙台の深い縁
現在、日本全国で知られている四柱推命。
生年月日と出生時間から人生の流れや性格、才能、適職、結婚運などを読み解く命術として、多くの占術家が活用しています。
この四柱推命を日本に紹介した人物として知られているのが、仙台藩の儒学者・桜田虎門です。桜田虎門は江戸時代後期の人物で、中国から伝わった「推命学」に強い関心を持ち、研究と翻訳を重ねました。文政元年(1818年)には『推命書』を出版し、日本における四柱推命普及の礎を築いたとされています。
当時の仙台は学問の町だった
伊達政宗公の時代から続く仙台藩は、学問を重んじる土地柄として知られていました。
儒学や天文学、医学など様々な学問が盛んで、多くの知識人が活躍していました。
桜田虎門もそのような環境の中で育ち、中国の古典や易学を研究していました。
現代で言えば、海外の専門書を独学で翻訳し、日本人向けに解説書を書いた先駆者ともいえるでしょう。
「推命」という言葉を広めた人物
現在では当たり前に使われている「四柱推命」という名称。
実は中国では「八字」「命理」「子平」などと呼ばれ、日本で一般化した「推命」という呼称は桜田虎門の著作に由来するとする説があります。
つまり私たちが普段使っている「四柱推命」という言葉にも、仙台ゆかりの人物の足跡が刻まれているのです。
現代の四柱推命との違い
もちろん、現在学ばれている四柱推命は、その後の研究者たちによって大きく発展しています。
阿部泰山流、高木乗流、台湾系、中国本土系など様々な流れがあり、解釈にも違いがあります。
しかし、その原点をたどると、江戸時代の仙台で一人の学者が中国の命理学に魅せられ、研究を続けた歴史に行き着きます。
仙台で四柱推命を学ぶ意味
私は仙台で鑑定を続けておりますが、時折、
「四柱推命は中国の占いですよね?」
と質問されることがあります。
確かに発祥は中国です。
しかし、日本で四柱推命が広まるきっかけを作った人物が仙台藩の儒学者だったことを知ると、この土地との不思議な縁を感じずにはいられません。
仙台には、四柱推命の歴史の原点とも言える足跡が残されています。
占いとしてだけでなく、先人たちの知恵の結晶として四柱推命を学ぶ。
そう考えると、生年月日から人生を読み解く作業が、より深く、より面白く感じられるのではないでしょうか。
まとめ
桜田虎門は、仙台藩を代表する儒学者の一人であり、日本に四柱推命を紹介した先駆者として知られています。
現代の四柱推命は多くの流派に分かれていますが、その歴史を遡れば仙台との深い関わりが見えてきます。
仙台で四柱推命を学び、鑑定する者として、この土地が日本命理学史に残した功績を誇りに思います。
もし四柱推命に興味を持たれたなら、ぜひ一度ご自身の命式を調べてみてください。
そこには、生まれ持った才能や人生のテーマが隠されているかもしれません。
「仙台における中国伝統風水普及の草分けの一人」
『桜田虎門が四柱推命なら、中国伝統風水の草分けは誰なのか』
桜田虎門が仙台藩における四柱推命研究の先駆者であったとするならば、中国伝統風水の分野ではどうでしょうか。
少なくとも私が風水の研究を始めた当時、仙台市内で「玄空飛星派」をはじめとする中国伝統風水を専門に掲げて活動する風水師を見つけることはできませんでした。
「日本最初の四柱推命家?仙台藩儒学者・桜田虎門とは」
当時「風水」と呼ばれていたものの多くは、実際には九星気学や家相学をベースとしたものであり、中国本来の風水理論とは異なるものでした。
もちろん家相や気学にも独自の価値があります。しかし、中国伝統風水の立場から見れば、これらは別の体系として区別されるべきものです。
そうした状況の中で、玄空飛星派や玄空大卦、三合派などの中国伝統風水を仙台で専門的に紹介し、実務鑑定として継続してきた風水師は極めて少数だったと言えるでしょう。
台湾の透派が来日し普及させたのを日本史上において私が確認できる最古のデータです。これにより私の紫微斗数は透派から始まりました。この時に奇門遁甲も紹介されました。
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